シクロクロスについて
シクロクロスとは?
もともとロードレース選手のオフトレーニングの一環として始まった、秋冬がシーズンのオフロード自転車競技。 ヨーロッパ各国はもとより、北米や豪州、そして日本においても秋冬の自転車競技として確立している。 シクロクロス選手の多くは他の自転車競技(ロードレースやマウンテンバイク、トライアスロンなど)と並行して参戦している事が多い。 それは、シクロクロス特有のオフロード走行がパワーの向上とコントロール技術の上達につながり、さらに危機回避能力の向上にも役立つからと言われている。 様々なライダーが続々とシクロクロスに挑戦し、人気と競技レベルの向上に拍車をかけ、愛好者も年々増加している。
競技ルール
シクロクロスは距離ではなく時間制で行われ、1周2.5~3.5km程度の舗装・未舗装が入り混じるコースを周回する。 一斉にスタートを切り、1位の選手の周回タイムを参考に、定められた競技時間(30~60分)に近くなる周回数が競技中に設定され、ゴール着順を競う。 日本においては男女ぞれぞれ実力別カテゴリーが確立され、初心者から競技経験者まで、誰もが無理なく安全にレースに挑戦できる。
見どころ
シクロクロスの戦術は単純で、選手の身体能力とテクニックが結果を左右する。 ロードレースに風よけやペース緩急などの駆け引きがあるのと異なり、シクロクロスのレースは単純明快、かつ目まぐるしい展開が常に繰り広げられる。 走る側にとっては、自分のトレーニングと努力の成果がダイレクトに成績につながる競技と言える。 見る側にとっては、選手が何度も目の前を通過し、変化する路面を走り抜く様を間近に見られるなど、応援・観戦の楽しさも大きい。 シクロクロスの特徴として、コース上ところどころに人工の障害物(柵、急斜面、砂地、階段など)が設けられ、バイクから降りて自転車を押す、担ぐ、ランニングする構成になっている。 また、ピットエリアでの機材交換が認められており、ピットクルーがスペアバイクや予備ホイールを用意して、仲間のためにスタンバイする光景が見られる。シクロクロスが「チームスポーツ」と呼ばれる理由である。
「はじめよう、シクロクロス」
速い自転車に乗りたい。しかも、どこでも走れる自転車がいい。
どこでも走れる、頑丈ということでマウンテンバイクに乗ってみた。スポーツサイクルなのに重い。頑丈だからと、なぜか納得してしまった。
とにかく速い、とにかく軽い、ロードバイクに乗ってみた。気持ちは満たされた。でもどこか、自分の縄張りが狭くなる気がした。
27インチホイール、ドロップハンドル、たった8kgのオフロードレーサー「シクロクロスバイク」がある。タイヤは細く、華奢でデリケートな自転車だ。
インターネットでは国際大会の中継をやっている。ものすごい坂を登り、転がり落ちるような崖を下る。泥まみれになったり、砂漠のような砂浜を走ったり。雪も、泥も、アスファルトも、細いブロックタイヤの、ドロップハンドルのレーサーで走っている。
ツールドフランスの山岳ステージのような観客の中に、競馬場の障害走のようなコースがあり、手の届きそうなところを選手が走っている。
日本でもシーズンが始まると、参加できそうな大会が毎週末、全国あちこちにある。会場にはオリジナルジャージで決めた恐そうな人たちばかり。
ブレーキの調整、タイヤの選択、いい変速機。隣の人に恐る恐る聞いてみると、どいつもこいつもおせっかいで、聞きもしないことまで教えてくれる。秘密をそんなに教えていいのかというくらい教えてくれる。恐そうだなんてとんでもない、そんな人たちばかりだ。
毎週レースを転戦して、それぞれ10位以内、20位以内、日本で何番、カテゴリーで何番のランキングを目指している。
それがシクロクロス。
仲間を誘って参加しよう
シクロクロスはチームスポーツ。練習、遠征、テクニック、機材情報、いずれも一人では不利だ。出走するライダーの他にメカニックアシスタントがいると有利だ。
クラブに入り、他のカテゴリーに参加する仲間と交代でサポートをしあおう。そうすれば、車輪のスペア、予備機材も十分だ。先輩のメカニックをすることで知識や裏技が入ってくるはずだ。
機材で負けるな、ピットワークについて
シクロクロスでは機材故障は必発だ。様々な機材が導入され、時に受け入れられ、時に淘汰されていく。最新のものでも絶対的スタンダードはない。
コースのコンディションに合わせてタイヤは違う。数種類のタイヤを土、泥、雪などで使い分けよう。ペダルも泥詰まりが解消されたものが登場した。ライバルがいい機材を使っていて自分が旧式では、ゴールを譲ったようなものだ。
カテゴリー2になったらスペアホイールを、カテゴリー1になったらスペアバイクを持とう。
帰りには温泉、地元のグルメを味わって来よう
幸か不幸か、シクロクロスレースは市街地で開催されることは少ない。広いフィールドの確保できる片田舎が多い。そんな所へ出かけて、レースだけで帰ってきてはもったいない。
レース前は忘れがちだけど、そこはけっこう有名な観光地だ。景色、温泉、そば、甘味でリフレッシュして、疲れは遠征先に置いてこよう。
機材について
シクロクロスはロードレース由来の競技で、公式試合ではバイクのおおまかな外見はロードレーサーであることが要求される。1999年9月からドロップハンドルのみに制限され、2010年7月からタイヤ幅も制限されるようになった。
国内AJOCCレースでは後に述べるカテゴリー別に制限を行っており、世界のルールに従うカテゴリーもある。その他のカテゴリーではいつかはシクロクロスバイクを準備するとして、まずは今ある機材で参加してみよう。
JCF競技者登録をしよう
UCIレース、全日本選手権、マスターズ選手権とプライドをかけた大きな試合は、それぞれ競技者登録資格を求められる。大会のルール、競技者の権利・義務・肖像権はJCF(日本自転車競技連盟)規則のもとで行う。未登録の方はお金を払って臨時登録する。カテゴリーレースで実力がある方、そしてマスターズ選手権を目指す方は、シーズンが始まる前にJCF競技者登録をして欲しい。
シクロクロスの歴史
シクロクロスは、ロードシーズンが終わる9月から翌年2月にかけて行われる
歴史は1900年代の初めにフランスで始まった。初めてシクロクロスを行ったのはダニエル グーソー Daniel Gousseau であった。後にフランス車連の会長となる彼は若い兵隊であった。隊長が馬にまたがり、自身は自転車で野山を駆けた。グーソーの情熱は次々に友人に広がり冬の娯楽となった。
1902年、グーソーは最初の国内選手権を開催した。デ・バーデル De Baeder が初代チャンピオンとなった。この競技の本当の転機はオクタビ ラパゼ Octave Lapize による。彼はシクロクロスをこなしたあと1910年のツールドフランスに勝利した。春から初秋にかけて、クラシックレースや、ツールドフランスのようなステージレースを走った後、タイヤ、ブレーキ、泥はけを強化したロードレースと同じような自転車で郊外の丘陵で競走をする競技の位置付けができた。冬もレースを見たいクレージーな客が長靴を履いて集まり、冬も稼ぎたいレーサーとが集まり、毎週どこかに特設サーキットを作って競走を開くようになった。
第1回の国際クリテリウム
国際レースの先駆けとなる第1回の国際クリテリウムが1924年のパリで開かれた。しかしシクロクロスは公式競技ではなかった。フランス人のガストン・デギー Gaston Degy が勝利した。以後、チャールズ ペリシェ Charles Pelissier が1926、1927、1928と3連覇。マース型ハンドル(ドロップハンドル)に名を残すベルギー人のシルビア マース Sylvere Maes が1933、ロベルト・オブロン Robert Oubronが 1937、1938、1941、1942に勝利している。残念ながら、今ドロップハンドルをマースバーと呼ぶのはランドナーに乗るおじさん世代だけになってしまった。(出典 2008 シクロクロス世界選手権トレビソ パンフレット)
1950年になりようやく世界選手権となった。パリで行われ、ジャン・ロバック Jean Robic が初代のチャンピオンとなった。歴代最高のスター選手はベルギーのブラマンク Eric De Vlaeminck であろう。1966年に20歳でレインボージャージを手にした。そして1968年から1973年まで6連覇した。世界選手権では1976年からジュニアカテゴリーが始まった。1995年スイス エッシェンバッハでU23ヨーロッパ選手権が併催され、1996年パリ・モントリューからはU23世界選手権が開催された。
日本でも
日本でも40年近く前から埼玉県の丘陵で行われていた。1983年、森幸春がイギリス バーミンガムの世界選手権アマチュアカテゴリーに47位で完走したことは国内の歴史とは別の出来事であり、歴史は止まっていた。
1986年、初代のシクロクロス小委員会座長の藤森氏が留学先のオランダから長野県へ、サーキットで行うシクロクロスシリーズを持ち帰った。第1回のシクロクロスミーティングである。森と三谷寛志のマッチレースであった。この冬3戦が行われた。
それからポイント制の最強者を決めるシリーズ戦が各地に拡がった。リシャールグロネンダールやティムゴールド、ハンカ・クップファーナゲルが来日し、ヨーロッパのレースのアドバイスを開催者、そして若い選手たちに伝えた。
1989-1990シーズン、当時大学生の大原満がシクロクロスミーティングリーダーの賞でヨーロッパ修行に出かけた。翌1991年、オランダ ギーテンの世界選手権で三谷、大原が完走。ここから世界挑戦が現実のものとなった。
第1回の全日本選手権
第1回の全日本選手権は1996年1月14日に氷雪の中、1986年のシクロクロスミーティング第1回の会場の長野県原村で行われた。男子は大原満、女子は川崎典子が勝利した。
なお前AJOCCホームページは1995-1996シーズンから始まり、この年のシクロクロスミーティング、全日本選手権、世界選手権のレポートを掲載した。
シクロクロス フランス教本 (2014年11月25日版)
1990年初めに作られたフランスの教科書が、藤森信行氏、小島裕樹氏により持ち込まれ訳されたものである。2006年に富樫慎治氏が再構成した。写真は柳川雅夫・久保信人両氏、富樫氏が2004年世界選手権で撮影したものなどを使っている。
※ ハンドルのポジションなど、一部最新の内容ではないことをご理解ください
シクロクロス_フランス教本2014.pdf